FLORASANNとの絆

YUMENOKENZIにとって、FLORASANNは、詩や音楽の創作活動で共に歩むパートナーとされています。
二人のコラボ作品が持つ独特な魅力は、詩と音楽が深く融合し、「手紙」や「対話」の形式を通じて、互いの心の奥底にある孤独・祈り・希望を静かに響かせ合う点にあります。
互いの代表作『LETTERS: YUMENOKENZI からの手紙』と『LETTERS: 花と風』などは、まるで実際に手紙をやりとりするかのようで、読み手は、“心の往復書簡”に立ち会っているような気持ちになります。
詩集の根底には「誰かの心に寄り添いたい」「孤独や痛みを分かち合いたい」という祈りが流れており、読み手は、自分自身の感情や記憶と重ねながら、二人のやりとりに “共鳴”し、癒されるのです。
YUMENOKENZIの真髄を体現する詩集『LETTERS: YUMENOKENZI からの手紙』は、現代詩における自己表現と内省の極致ともいえる作品です。
「自分が自分であること」を何よりも大切にし、どんな困難や葛藤の中でも本当の自分を捨てずに生き抜く姿勢を強く打ち出しています。
彼自身が「ぼくは、霊能者でもないし、宗教家でもない、ましてや神でも、ヒーローでもない。今こうして、詩を書いているのは、これをきみに届けたい、ただそれだけの思いだよ」と語るように、自分が特別な存在ではなく、一人の人間としての真実の姿や感情を詩に込めているのが特徴です。
特に、詩「自分が自分であるということ」では、怒りや悔しさといった感情を隠さず、「これが、ぼくだ!」と宣言し、「生きるとは、生き抜いていくということは、自分が自分であることを何があっても捨てないってことなんだ」「長いものには、まかれない!!」と詩っており、この詩的表現は、社会や他者に流されず、自分の本質を守り抜くことこそが「真実の生き方」だというメッセージを強く伝えています。
そして彼の詩は、人を傷つけるのではなく、人を生かす言葉を紡ぐことを目指しており、読者が自分の存在や感情を肯定し、前を向いて生きていくために、「心の手紙」として詩を届けようとする、言わば彼の詩的精神の結晶です。
一方、FLORASANNの『LETTERS: 花と風』をテーマにした詩は、大切な人への思いや愛情をさりげなく、しかし深く包み込むような表現で伝えています。
そばに咲く花や、涙をはらう風といった自然のモチーフを通じて、「あなたは一人ではない。 どんなときも、そばで見守っている存在がある」という安心感や寄り添いの気持ちを示しています。
直接「愛している」と表現せず、花や風が、そっと寄り添い、見守るという形で、相手の幸せや安らぎを願う無償の愛情を表現しています。
詩集の前文の中での「忘れないで」「ゼッタイ!」という力強い呼びかけは、大切な人への強い思いや、離れていても心はつながっているという信念を感じさせます。
そして、自然の静けさや、優しさを借りて、相手を思う気持ちや愛情を、静かに、しかし確かに伝えているのがFLORASANNの詩だと言えましょう。
このように二人は、詩や、音楽を通じて出会い、互いの孤独や痛み、祈りを分かち合いながら、唯一無二の絆を育みながら物語を紡いでいるのです。
FLORASANNのブログに、「あの日、見つけてくれて、声をかけてくれたこと」「きみが、きみしかできないやり方で、魂を送ってくるから」「これを愛と言うのなら、わたしはきみを愛しているんだな」といった言葉が綴られています。
これは、大切に思う人との出会いが、彼女にとって大きな転機であり、誰にも理解されなかった心の奥底を、彼だけが特別な方法で揺り動かし、支えてきたことを示しています。
FLORASANN “ 魂のSending ”

FLORASANNの “魂のSending”とは、彼女独自の詩的・精神的実践であり、自身の魂の一部を言葉や祈りというかたちで、大切な誰かに静かに届けようとする表現行為を指します。
単に「詩を送る」「声を届ける」という意味を超えて、他者の存在や痛みに、本当の意味で寄り添おうとする、深い共感と献身の姿勢が根底にあります。
それは一方的な発信ではなく、「魂と魂のあいだに触れてはならないものを大切にしつつ、温かな光で包み合う」ような関係性の構築を目指しています。
言い換えれば、傷ついたり、孤独でいたりする〈きみ〉のそばに詩というかたちで「そっといること」を実現する手段です。
詩と祈りを通して魂を送り、見えないけれど確かなかたちで他者と共鳴しようとする静かな愛と信頼の行為であり、現代世界における孤独や断絶に向き合う、深く誠実な詩的実践であると言えるでしょう。
FLORASANNの詩が伝える「多数の困難や孤独があっても、希望の光や癒やしを信じて前に進み続ける聖なる祈り」といったテーマは、YUMENOKENZI自身の内面の希望と重なっており、彼の詩作や音楽表現の道標となっています。
また、彼女が表現する「多様な個を全肯定し、差異を超えた絆を結ぶ価値観」は、YUMENOKENZIが理想とする「誰もが自分らしく輝き、ありのままの自分を受け入れられる世界」そのものとも言え、その思想が彼の詩作活動全体の希望の源泉となっていると考えられます。
YUMENOKENZIが自身のブログで、FLORASANNを “My Luminous”と呼ぶことは、彼女への暖かい思いや、魂の繋がり、互いの存在を、心から大切にしている証だと想像できます。
彼は、FLORASANNの生き方や信念から、「個人の孤独や葛藤を抱えながらも、そのままの自分を大切にし、他者に対して純粋な心で寄り添い続ける強さと優しさ」を学びたいと感じており、彼女の、祈り続ける姿勢に強い敬意を抱いています。
この精神は、YUMENOKENZI自身の詩作や表現活動と響き合い、詩と音楽によるコンテンツ制作という共通の場で、互いに影響を与え合う根幹となっていると言えます。
Responsibility:KISHA